私が野球トレーナーとして活動するワケ

活動

こんにちは、こーけつです!

今回の記事は私が野球トレーナーとして活動するワケを書かせて頂きました!

サクッと読める文章になりますで、一読頂けますと幸いです!

選手の頃

私は小学校3年生から高校3年生まで野球に打ち込んでいました。


中学校まではエースや4番を任されることもありましたが、中学卒業する前に足のケガをして手術、高校入学時は周りから出遅れてしまいました。


チームメイトはそれぞれのチームで中心選手であった為、私は入学して練習が出来なくて焦る気持ちで高校生活を過ごしていました。


その後も思う様な結果は出ず、ふくらはぎのケガを繰り返し、耳鼻科の病気にも罹り、練習が出来ない日が多々ありました。


高校2年の夏に投手を諦めて、野手に転向しようと思いましたが、秋の大会で背番号11を勝ち取り、冬から春練習に取り組みました。


高校3年生の夏は背番号がもらえませんでしたが、スコアラーとしてベンチ入りを果たしました。
本来、女子マネージャーがスコアラーをするのですが、キャプテンが「纐纈をベンチに」と進言してくれ、初の選手からのスコアラーへと転向しました。


このスコアラーとして、選手を支える立場となった時に「こういう仕事も良いかも」と思い、人に寄り添える仕事である理学療法士の道を決めました。

理学療法士になってから


私が入学した愛知医療学院短期大学には、パラリンピックで活躍する方が2人も在籍しており、スポーツで活躍する仕事であることを知りました!


その教員が非常勤勤務していた愛知県豊橋市の整形外科に入職して、病院やクリニックで外来・入院・訪問リハビリを経験しました。


愛知県東三河地区や甲子園大会でメディカルサポートを経験し、投球障害を患った選手のリハビリも担当しました。


「病院で働いていると、リハビリは出来るけど予防は出来ない」と思う様になり、障害予防に関わる講演やトレーナー活動を始めました。


私がサポートしている岐阜県の高校の近くには、スポーツに精通した医師がおらず満足いくリハビリは出来ない環境でした。


現場からは「休んでいる時にやることが分からない…」「どうすれば予防出来るのか…」と言った声を聴き、理学療法士の私がやれることはあることを確信しました。


野球に関わるトレーナーである為、グラウンドに行くことが最優先ですが、片道2時間は頻繁に行くことが出来ません!


「どうすればもっと力になれるのか…」と考えた時にグループLINEを作って情報提供や、今回から行う様になったオンラインセッションです。


今後は活動の現場を今住んでいる愛知県東三河地区にも広げていき、岐阜県中津川市との2拠点で活動していこうと考えています。


現地でのトレーナー活動に加えて、オンラインセッションを活用して、1人でも多くの選手を支えていきます!

終わりに

最後までご覧頂き、ありがとうございました!

私を簡単にまとめると野球が好きなやつです!笑

その好きな野球を仕事にして、野球選手の為に人生を捧げる覚悟でトレーナー活動をさらに広げていこうと思っております!

今後とも宜しくお願いいたします!

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